3人の母と信仰  

以下の文章は小生が5年前、バハマ赴任の折、バハマメンバー、現地の信徒に証
したものです。生母は、我々夫婦が子供を置いて南米宣教へ行ったので負担が掛
かり過ぎ、病床に倒れ、その後、寝たっきりで、今年で85歳になりました。昨
年1年郷里に帰ることが出来ませんでしたが、いつも母のことを思い起こすにつ
け、「お母さん、有難う!」という心情がこみ上げて来ます。 
                                     2002年11月17日記

聖日礼拝:「3人の母:生母, 信仰の母, 心情の母」

1997年10月5日於;ナッソ・バハマ・ピースガーデン教会

                           大脇 準一郎


初めに:母親の絶対性


 母を通して、子供として学んだことを話したいと思います。まず、1997年10月7
日のお父様のみ言(ウルグアイ)を拝読します。

蘇生期 忠母様 生命の母、
長生期 大母(訓母)様 信仰の母、
完成期 真のお母様 心情の母

 すぐ、思い起こすのは、アウグスチヌスの初期の頃、カルタゴで売春婦と同棲す
るほど荒んでいた彼を改心に導いたのは、母モニカの熱心な祈りでした。子供達
が遊びながら歌っていた聖書の一句を聞いた時、言葉が光となって彼の心に飛び
込み、彼は改心したのでした。罪はアダム、エバの問題です。母の涙ながらの日
頃の信仰が通じたのです。リベカは、エソウとヤコブを産み、知恵のある妻とな
りました。イエス様はマリアの信仰によって生まれることができました。お父様
も柳寛順の信仰と実のお母様の愛により生まれることが出来ました。このように
母親は偉大な男性、メシアを産む契機となりました。


1、生母について


 私の母も今年、80歳になります。私達の子供の内、2人は海外に行き、残りの2人
の子供を母に見てもらい、私たち夫婦で南米に出かけました。1月~2月にかけて、
母に負担をかけさせてしまったので、母はリュウマチがひどくなり、立ち上がれ
なくなってしまい、今は病院に入院しています。今日まで、私はこの母に大変な
世話を掛けてきました。

 まず、第一に思い出すのは、私の父は戦艦大和の電気設計技師でしたが、肺結核
になり、田舎で療養していました。戦後、その技能を生かして、電気屋・工場を
していました。どころが、41歳の時、突然、交通こと故で亡くなり、その時、母
は33歳でした。今から40年前の100万円は、大変なお金ですが、母はいろんなも
のを処分して、借金を返しました。母は父が死ぬまでは、何苦労ない社長の妻と
いう立場でしたが、突然の夫の死で、胎中にあった4人目の子供を産むとき、産
むのをやめようかと思ったそうです。普通であれば将来が不安になって子供をお
ろしてしまう人も多いのですが、信仰をもっている友人の協助、苦しいときの神
頼みで、信仰に入りました。

 その4人目に生まれた妹は、今は3人の子供に恵まれ、元気に頑張っています。私
達が幼い頃、母に再婚の話がありましたが、母は子供達のために再婚せずにやっ
てくれました。小学生の頃、私は遊びに夢中で、ある日、帰りが遅くなったとき、
母にひどく叱られ、雨の中にずっと立たされ、「この母の気持ちが分からないの
か!分かるまで一緒に立っていよう!」と、母も共に雨の中、立っていました。
この様なことがあって、ひたすら子供を思う、母の気持ちが分かるようになりま
した。

 私は勉強ではいつもトップでした。中学生2年の時、電気楽器をつくったら、そ
のことが毎日新聞や少年雑誌に載り、NHKまでインタビューに来ました。全国か
らファンレターも来ました。小さい頃に天才とか騒がれると、人の目が気になっ
てしまいます。赤面恐怖症で胃が悪くなりました。高校生の時、テニスをしてい
て、急にストップしたり、その頃いろんなことが重なり、食べたものを吐くよう
になりました。医者に行っても治らず、母が最後にある教団から買ってきた本で
「胃腸病は必ず治る!」という本を見せてくれました。

 その本のなかの「感謝!」という言葉が荒んだ心の中に光りとなって飛び込みま
した!心が素直になれば病気は2時間の間に治るという奇跡が起こりました。最
後に治すのは信仰の力であることを悟りました。「自分は生きているのではなく、
生かされているのだ!」とのコペルニクス的大転換のこの時が3月18日午前8時、
私が16歳の時でした。その後4年間、日夜求道をし、さまざまな霊的現象、入信
現象を体験しましたが、神や霊界の存在を客観的に説明することが出来ず、悲壮
な決意でこれを探求していました。統一原理を知り、私よりも先にこの問題解決
をされた方がいることを知りました。

 私は父が早く亡くなったので、心の中で父に対して、讒訴の思いがあることに気
がつきました。ある教団の牧会されるお婆さん(信仰の母)の一言で転換するこ
とが出来ました。それは「あなたが、今、生きていられるのは、お父さんの遺産
があるからだ。だから感謝しないといけない」との言葉でした。懺悔の気持ちか
ら、教本を読んだ時に、教本の文字が白金色の光を放って、心の中に飛び込んで
きました。立体的実感で、とても驚きました。それ以来、教本を読むと自分の声
ではなく、心の深みから、吾ならざる大音響の声が出ることがあります。清平や
ジャルデンに行って、原理講論を拝読していたときも、吾ならざる威厳のある声
になって、回りの人を驚かせたことがあります。

 母に対する素直な感情になることによって、肉的な命を与えてもらいましたが、
父に対する恨みの情を、(信仰の)母の愛によって諭され、心から感謝すること
が出来たとき、真理を悟ることが出来ました。原理に出会った時も、白金色の光
を放って、言葉が光となって受肉したという体験をしました。皆さんも、もし体
が悪いなら、母親に対して讒訴の気持ちがあるかもしれません。また、み言がな
かなか入らないという人は、父親に対する讒訴の気持ちがあるかもしれません。
一概には言えませんが、私がそのようなことを経験したので、参考になればと思
います。

 私は肉の母から、蘇生的な信仰を与えてもらいました。夫が亡くなっても、この
子だけは人から笑われないように、立派に育てようと、母の愛によって肉的命も
助かったし、信仰の世界に目覚めさせてもらいました。この母に、私は何を恩返
しできるかと考えました。この世的にいえば「社会的な地位を得て、お金をもう
けて、良い老後の生活を与えたい」ということが普通ですが、原理を聞いたとき
に祝福を与えてあげることが、最高の恩返しだと思いました。この世の人が認め
るように、親孝行をしてあげれないことが、胸が痛いことであります。母はいつ
死ぬか分からない状況ではありますが、この道を歩む一番の契機になった母に対
して、心から感謝をしています。

 父母に対する孝行心、それが信仰の世界の本質だと思います。私は母から言われ
て、毎日仏壇に手を合わせていました。帰るとすぐに仏壇に手を合わせ、良いこ
とがあっても、悪いことがあっても報告するように、母に教えられました。統一
教会に来て、真の御父母様に対して、そのようにしていないので申し訳ないと思
います。信仰の世界は、父母に親孝行する世界だと思います。私は神様に対して、
全然違和感がありません。親が信じられないと神様を信じることができません。
親は見える神様ですから、神様は父母を通して自動的に知ることができます。し
かし、世の中では、父母が親らしくないので、人類は、神様がわからなくなって
しまいました。

 自分は母に対して「自分の子供だけを愛さないで、他のかわいそうな人達のこと
も思ってあげたたら良い」というのですが、「他の人にはその人の親がいるので、
そこまでは自分は出来ない」と母は言います。母の愛は、広さはないのですが、
深い愛を持っています。親が子を愛する愛とは、このような愛をいうのだと思い
ました。ですから、神様の愛も、私の母のように一途に愛する愛であると思いま
す。そのことを、自然に分かるようになりました。

実母の世界という面で、具体的に思い出すのは、母は父が着た古着を自分に合う
ように縫い合わせて、子供達には恥ずかしい思いをしないようにと、新しい服を
着させました。母は洋裁をしていたので、そのようなことが得意だったというこ
ともありますが、そのことを通して、自分を犠牲にしても子供を愛する、母の姿
を見ました。言葉よりも実際の愛の行いを見せることが、最高の教育だと思いま
す。

 5月5日の子供の日やひな祭りの日には、仕事が忙しい中でも必ずお祝いをしてく
れました。母は父の分までも働かなくてはいけない環境でありましたが、きちん
としきたりを守って節目、節目のお祝いをしました。そのようなことが子供心に
良い思い出として残っています。儀式を守ることが伝統を守るということであり,
真心を込めて子供達に伝統を受け継がせるということは、とても大切なことだと
思います。


2、信仰の母

統 一教会に入ってからも、何人かの母親の立場の人に出会って信仰的なことを教
えてもらいました。その中でも印象に残っているのが、美植ママです。この方は
才女であられ、西川先生の奥様です。み言によって、知的に一人一人の心霊を分
別し、牧会して下さいました。彼女は愛が根底にあって人の心を情的知で理解し、
分別し、整理し、悔い改めさせ、神の前に導いて下さる素晴らしい方でした。女
性はみ言を語って子供を教育することが重要だと思います。

 もう一人が松本ママです。大阪教会の時代、松本ママは伝道熱心な方なので伝道
を沢山する人を見ると、とても喜びました。自分は伝道を沢山したのでとても可
愛がってくださいました。子供にスキンシップをするように、食口達を頬ずりを
して実の母のように愛して下さいました。松本ママは、朝、五時には起きて教会
の床を叩いて祈りをされました。ママは小さい頃、自分の母親のスカートの中で、
お祈りを聞いていた思い出があると語っていらっしゃいました。

 大阪城の聖地でも良く祈ってらっしゃいました。彼女は祈りと実践の人です。教
会を買うことで300万の資金が必要でした。1965年なので、今にすれば1000万円
以上だと思います。松本ママは、その館を手に入れることは天の願いだと言い、
聖地で一生懸命祈りをささげました。その時に、僑胞の食口の家に行くようにと
ママは啓示を受けました。そうして訪ねていくと、その方が200万円用意してく
れました。後の100万は他の食口が準備し、教会を買うことは、彼女の祈りの信
仰で実現しました。

 中心が伝道に意識があれば、沢山伝道出来るし、中心が意識したことが対象を通
して結果として現れます。子供も母親から産まれてくるように、中心者が祈りを
もって意識を高めていけば、対象は良い結果をもたらします。子供も親を喜ばせ
たいと思うように、対象も中心を喜ばせたいと思うので、中心の願う方向へ動い
ていきます。

 自分も初期の頃に、伝道が沢山出来たのも、来る前からみ言を求めて祈っていた
ということもありますが、中心者の「伝道して欲しい」という気持ちが強かった
から、出来たのだと思います。その時の中心者は西川先生でしたが、先生は違法
の立場で日本に来ているので、自分が表に立って伝道することが出来ないので、
「自分の代わりに伝道して欲しい!」と願っていらっしゃいました。私が熱心に
伝道するので、西川先生はとても喜びました。その姿を見て、嬉しくて、また伝
道に行きました。

 自分がアカデミーを担当していた時、伝道隊を作りました。その伝道隊は300名
位になって、今も頑張っているようです。当時は、アカデミーの1/3のスタッフ
が交代で伝道に行きました。また、自分がある地区の地区長をした時、私と一体
化した姉妹は1年で12名伝道しました。

 美植ママは知的な面で影響を与えてくれましたし、松本ママは祈りと実践をもっ
て勝利するという信仰を教えてくれました。松本ママは中風になっても、小さな
本部にいて、自分が見ていなければと頑張っていらっしゃいます。林ママという
方がいて、人情的に優しくものわかりの良い人もいました。信仰的に導いてくれ
る母の役割が大きいと思います。信仰的にお姉さんの役割の人もいるし、特に12
家庭の方々からは、「ジュンちゃん」と呼ばれ、可愛がっていただき、よく伝道
に連れて行っていただきました。そのようにして姉は弟を育てる役割があります。

3、真の母

 次に真の母の立場があります。言葉は通じないのですが、イーストガーデンで、
お母様が日本の映画を見でいらっしゃるとき、通訳を頼まれたことがありました。
お母様から靴を買って頂いたことや、お母様から「あなたは渉外が出来るので服
が必要ですから」と、合う服を選んで下さったこともあります。薄いピンクのスー
ツでした。そのことを通して、言葉は通じないけれど、思いやって下さる気持ち
を万物を通して感じました。先程の聖歌にあるように、「母は涙」というように
沢山の言葉を語るより、まず理解して涙で同情して下さるそのことで心が癒され
ます。お母様は良く涙されます。涙の心情を持っていらっしゃる方だと思います。
人の悲しみを分かる方だと思います。“母なる大地”と言いますが、地はどんな
汚い物も全て受け止めてくれます。お母様とは、話す機会は少ないけれど、涙の
心情で私達のことをかばって下さり、思って下さる方だと受け止めています。

 私が鳥取の教区長をしていた時、お母様が巡回に来られました。こんな小さな所
には来られないと思って、みんなあきらめていたけれども、自分は「小さな所で
も迎えることが出来る。やれる。」という確信を持っていました。お母様は「大
きな所ではなくて、今までに行ったことが無い所に行きたい」と言われ、岡山か
ら4時間かけて、山を越えて来てくださいました。来られたときの第一声が「あ
なたに会う為に、野を越え、山を越えてやっと来ましたよ!」とおっしゃって下
さった時には大変恐縮と同時に感動いたしました。

 会場にお出でであった食口教授の手を取って、私に手を重ね合わせ「あなたは、
尾脇さんと組んで神の主権がともにあるようにしなさい!」とソロモンの祝福し
て下さいました。その後何か行動を起こすべきだったのかもしれません。しかし
教会の事情がそのような状況でも無かったし、私の信仰が無かったのかもしれま
せん。自分が還故郷した目的は、地域に貢献し、主権を神様に復帰をすることで
した。お母様は「鳥取はアメリカのウエストバージニアだ!」とおっしゃられま
したが、田舎の情緒が残っている所です。

 真のお母様は、心情的に深く、広い、清い愛を持っていらっしゃる方です。信仰
を持った母という方から教わったのは、神様の為に信じてやるならば、絶対出来
るということを実体で見せて下ったし、又み言というものが、人の心を解きほぐ
し元気づけるものであるということを学びました。信仰の導きの母というのは、
重要なものだと思いました。

 そして何よりも、実母があってこそ生まれてくることが出来たし、小さな頃に家
庭から教わったことがいかに大切であるかを感じました。真のご父母様から、
「おまえはどうしてそんなに行儀が悪いがどうしてか?」と聞かれ、その後に
「おまえは父親がいなくて母親だけで育ったからそうなんだね!」と同情して下
さいました。母親が、父がいなかったので行儀のことまで教育出来なかったから
かもしれません。

 自分でも何故、こんなに行儀が悪いのかと思うことがあります。皆さんに迷惑を
かけていると思います。何か家庭の中で欠けていると、いろんな所に影響が
あるので、夫婦揃っている方が良いです。皆さんも家庭を持って母になった
ならば子供にとって母の役割がいかに大きいか分かると思います。今日の
私があるのも、3段ロケットのように、3段階の母が渾身の力を振り絞って育て
てくださったからです。今日の話が少しでも皆さんの将来の信仰生活の参考
になれば嬉しく思います。