松田家家系録

玉松会  資料 家系碌拡大版   縮小版 松田重雄 

松田重雄先生の長年に渡る家系研究の記録。
平成26年(2014年)8月尾脇準一郎(母・弘子、因幡松田家17代良三長女)帰郷の折、初代元重が隠れ
住んだという西谷を訪問。今は竹林公園となっていることが教育委員の協力で判明した。

以前家系録はスキャンしたが、コピーの品質が悪く、今回家系図原本を借りて、原本からコピー、
43ページを超す内容なので漸次御紹介する。西谷の神社の由来によれば、神木とされる杉の大木は
樹齢430年と書いてある。この看板は20年前のものなので、ちょうど元重が備前から落ち延びた年代と一致する。

松田 亨 一周忌
 松田亨(尾脇電機、4代目社長)が92歳で昨年(2013年)逝去。因幡松田家18代、健次(長男、逝去)の弟、
 尾脇弘子(長女、尾脇電機2代目社長、健次の姉87歳で逝去)。弘子の長男、準一郎が父、尾脇庄三が
尾脇電機株式会社を
創業(昭和20年8月、今年平成26年で69年目。)した会社をやらなかったため、
尾脇五郎(父の弟)、尾脇弘子、松田亨が事業を継続。現在5代目、中澤征機(準一郎の妹の夫)が社長 。
準一郎の長男、史行が現在本店勤務。                                                                                                   


因幡松田家初代を八頭町西谷に訪ねて

備前金川玉松城が1568年7月7日、宇喜多直家に滅ぼされる。城主元輝、長男元賢討死、元賢の子供たちは、
作州・備前の各地に隠れ、時の来るのを待った。次男、元脩は備中、備後(英田郡可眞)へ逃れ、その後子孫は
讃岐香西、詫間浦に移住し塩田に成功する。

3男元重(当時13歳)は因幡の国八東郡の相模時代の親類、波多野氏一族(高平城城主、すでに討死)を頼り
、因幡に逃れる。船岡町西谷に住む。天正11年(1582年)元服を終えた元重は、部下の手配によって隼郡家に
扇状乾燥地に水利を引き開墾。2代元尚、3代元左衛門の頃には田園数十町歩となる。4代元左衛門の頃、
鳥取藩主より庄屋職を命ぜら代々大庄屋、殖産文化の向上に貢献。上記隼郡家の先祖代々大きな墓は、
13代周三郎以後の先祖代々の墓である。19代、和正は京都に住んでいる。 

元重の住んだ西谷の邸宅は今は八頭町西谷の竹林公園となっていることが今回判明した。
 因幡松田

   地域興で、注目を浴びている大江ノ郷自然牧場は山一つ越えた隣村である。
   ココガーデン

松田家家紋(隼郡家)
 
神奈川県松田町

松田城跡
岡山県玉松城跡

玉松会