短歌で綴る母の生涯  ed. by j. owaki

、母の幼少時代 1918.2.20 (大正7年)

2、母の同窓生

3、母の兄弟姉妹
(松田家船岡町隼郡家)

、母の結婚(宮島・新婚生活・呉・海軍技術研究所)

、父・庄三の家族(尾脇家)

6、尾脇電機S20.8創立

7、夫の交通事故死
S26.5.4、41歳、法要

吾が心、支うるものの1つに 亡父の着物で服仕立て着る

さり気なき吾が子の仕草に 在りし日の夫を想いてまじまじと見る

突然の事故死の君なりき 過ぎし日の想い胸に痛み来る

春の夜の 浅き夢より目覚めて去りゆく亡父の後姿を追う

わが夫の残せし業のその蔭に 力を合わせし人ら思えり

社員らと心一つに40年の苦しき日々も喜びに充つ

大雪山自然の力の不思議さを マリア菩薩の姿にのぞき見き

阿寒湖のマリモよ何思う 水面を渡る風のさみしき

漸くに下呂の温泉(いでゆ)にたどりつき せせらぎやさしく吾ら迎えり

渓谷の岩間を縫いて船は行く ライン下りのスリル楽しむ

戦いのはげしさ残る洞窟に 自爆の兵士の魂こもる

南海の姫百合の花 永久(とわ)に咲く可憐な乙女ら 安らかに眠れ

8、母子会

高千穂の山の神秘に満喫し心清らにバスに揺れ行く

其処此処に湯の香漂い煙立つ 土の命うごめく湯の川

湯の川の静かな庭の雪景色 夢を馳せつつしばし眺むる

南海の色濃く波の漂いて ビンロー樹林の青島覆う

9、家族(息子・娘・孫)

顔をふり歌う素ぶりの愛らしさ 見惚れて刻のたつを忘れき

小走りに駆け来る孫の振りて おかっぱ頭の朝日に光る

ベランダに鳩とたわむる孫ふたり 抜き足近寄るしぐさ愛らし

よく遊びつかれし孫は眠りたり 軽きいびきは良き夢ならむ

孫たちと玉露取りて墨をすり 願いを託す七夕の夜

正月を祝う電話をかけおれば 片言混じりの声する

久々に近況しらす孫の声 冬季に住みて電話かけくる

10、準一郎、統一原理と出会い、教会へ入教(1963年12月14日)

11、準一郎早稲田に原理研究会設立、熊本市開拓(1964年4月、7月)

12、鳥取教会岩井裕子姉1964.7.20~ 1965
   この間、準一郎、盛岡、鶴岡、弘前開拓伝道、大阪教会、原理研本部、
   超宗派・超教派、勝共連合、岩手県教区長、
   (1990年鳥取教区長)

13、世界平和教授アカデミー創立 1974.9.28~(4月より準備)

14、韓国訪問

15、米国訪問


機上より見下ろす夜景ちりばめし 宝石観るごとく灯のまたたけり

ナイアガラの滝つぼ近く寄る船に しぶきは修羅のごとくかかり来

ホノルルの空に浮かべる虹の橋 世界の人の架け橋となれ

14、母晩年(療養生活)

左手で箸かなわねば 匙にせんと昂る心にひと日過ぎゆく

送られし 赤き蕾のスクラメン 閉ざせし心のほのかに開く

病室の花瓶も花も分かち合う 菊の香漂う豊かなる朝

娘より新茶届きぬ すすりて憶う 子育ての頃

寝たきりの友を見舞いて 手を握り語るすべなし 侘しいさつのる

夜もすがら 器械で<呼吸する夫見つつ すまぬと嘆くその妻いとし

春の雨地に滲みとおり 若葉の匂えるごとく 朝に萌えいず

春の雨ほどよく降り手て 大根の双葉は 土を割りて出でたり

昨夜の雨ようやく止みて 目にふるる木々の若葉の色のすがしき

雪止みて 綿帽子かぶる山茶花の 赤と白とのひときわ冴ゆる

還暦の記念に植えし柿の木の 残り実二つ夕日浴びおり

のびし草履の痛さをこらえつつ 風呂椅子にかけ草むしりおり

久々に顔を合わせしいいとこ会 心かよいて刻を忘るる

六十路坂半ばを超えず逝く友の 娘や孫に思うを馳せる

話いるしぐさに童顔重なりて きざみし皺に過ぎし日憶う

み仏の御業に生きて幾歳月 禅僧の君の遺徳偲びぬ

亡き義兄(あに)は夢にも見せずと語りいる 墓前の妻の淋しさを想う

戦いに果てし御魂の集い来て 悲しみ滲みむる 大喪の列

15、2005.5.16日昇華88歳・昇華式(2005.5.17)葬儀(2005.5.17)
・追悼会(鳥取教会2005.7.3; 1回忌:米子教会2006.5.15)
・3回忌(2007.5.13)  7回忌(2011.5.8) 13回忌(2016.5)

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蕗のとう(さざんか第13号)

初春の麗ら陽を浴び 雀二羽 親子睦みて餌を啄む

風寒き土手に芽吹きし蕗のとう 枯草の中に 春を待ちおり

コスモスの色とりどりに咲きて 今朝の参道い爽やかに

日射し浴び 外より帰り 口にする 冷えしトマトの舌にしみ入る

盆踊り孫の浴衣に腰上げす 針持つ吾の生き甲斐覚ゆ

終戦の名残り 留むる我が店の 想い出包み 取り壊さるる

送られし短歌を詠めば 父知らぬ子等と生き来し 杳(はるけ)き日還る

軟らかく日射しの包む柿すだれ 肌照り映ゆる夕光(かげ)の中

断髪式 思いは千々に乱れ来て その名は輝くああ千代の富士

氷雨降る夕闇に 羽をたたみたる 土手の白鷺首かしげおり

平成5年(1993年)2月20日発行さざんか短歌会より尾脇弘子の詠める歌



尾脇弘子・母の生涯写真アルバム

1、母幼少 1918.2.20T7 鳥取県八頭郡船岡町隼郡家に生まれる 2男3女の長女
  として生まれる 父:松田良三、 母:(近藤)雪子
2、母同窓生 八頭高等女学校卒 教員生活(家庭科)
3、母兄弟(松田家船岡町隼郡家) 弘子、長男:松田健二、亨、和子、美祢子、
4、母結婚(新婚生活・呉・海軍技術研究所)
5、父・庄三家族(尾脇家)祖父:小太郎、祖母:
6、父法要S26.5.4交通事故41歳
7、尾脇電機S20.8創立
8、母子会
9、準一郎兄弟
10、準一郎家族
11、鳥取教会岩井裕子姉1964.7.20~ 1965
12、世界平和教授アカデミー 1974.9.28(3月から準備、9月創立)~
13、韓国
14、米国
15、母晩年(療養生活)
16、2005.5.16日昇華88歳葬儀(2005.5.17)・昇華式(2005.5.17)・追悼会
  (鳥取教会2005.7.3;米子教会2006.5.15)
   3回忌(2007.5.13) 7回忌(2011.5.8)
17、母個人
  ⇒ 母の想い出 DVDの写真・音声収録